今回は、奈良の大仏と鎌倉の大仏はどっちが先で、なんのために立てられたのか徹底調査してみました。
京都の東大寺と鎌倉の高徳院、それぞれに大仏が鎮座されていて日本の代表的な観光名所になっていますよね。
昔から当たり前のように鎮座している奈良の大仏と鎌倉大仏ですが、一体いつからあるのでしょうか?
大昔の重機もない時代に、わざわざあんなに巨大な大仏を立てるなんて、何か特別な理由があったはずです。
誰がなんのために立てたのか、とても気になりますよね。
そこで今回は、奈良の大仏と鎌倉大仏はどちらが先で、なんのために立てられたのか徹底調査してみました。
奈良の大仏が立てられたのはいつ?なんのために立てられた?
京都の東大寺に鎮座されている大仏はいつ、なんのために立てられたのでしょうか?
調べてみたので、早速見ていきましょう!
奈良の大仏はいつ立てられた?
奈良の大仏はいつ立てられて、現在のような姿で存在しているのでしょうか?
747年(天平19年)に聖武天皇の発案により造立され、752年(天平勝宝4年)に盛大な大仏開眼会が行われたそうです。
奈良の大仏は約1200年以上も前に立てられて、今まで維持され続けて来たことになりますね。
完成した時は、大仏は金箔が貼られてキラキラと黄金に輝いていたそうですよ。
大仏殿は、治承の兵火(1180年)・永禄の兵火(1567年)の時に2回も焼失しました。
初代を焼失させたのは平重衡(平清盛の5男)で、二代目を焼失させたのは松永久秀(戦国武将)とされています。
鎌倉時代は重源(ちょうげん)、江戸時代は公慶(こうけい)率いる僧侶達によって、消失されても度々再建されてきたようです。
現在の奈良の大仏は三代目になるんですね!
現在の大仏は、胴体は室町時代・頭は江戸時代に再建されたものとなっていますよ。
完成当時の大仏がどんな姿だったのか、見てみたくなりますね!
奈良の大仏はなんのために立てられた?
約1200年も前に、こんなに巨大な大仏を立てるのは相当大変だったと想像できますよね。
聖武天皇は、なんのために奈良の大仏を立てたのでしょうか?
大仏の建造には「仏教の力で国が安定し、人々が安心して暮らせる世の中を作りたい」という思いがこもっているそうです。
聖武天皇は728年(神亀5年)に、最愛の息子を1歳未満で亡くされました。
最愛の息子の供養と冥福の為に、平城京の東に金鍾山寺を建てたのが、東大寺のはじまりと言われています。
更に当時は、大地震や干ばつ・天然痘が流行したために、権力者が次々に亡くなってしまいました。
有権者が相次いで亡くなったことにより、政権争いが続くなど世の中は波乱に満ちていたのです。
聖武天皇は、人々からの寄付や協力によって作られた「廬舎那仏」を大阪で拝んだ時に、その考え方にとても感銘を受けました。
その時の経験から、財力ではなく人々の協力で大仏を立てようと考えたようです。
そして743年(天平15年)に聖武天皇により「廬舎那大仏造立の詔(るしゃなだいぶつぞうりゅうのみことのり)」が発せられました。
初代の大仏と大仏殿の造立には、260万人もの人々(その当時の人口の約半数)が協力したそうですよ。
大仏を造るために使用された銅はなんと500t以上で、金は440㎏とのこと!
想像できないくらいの量ですよね。
仏像を作り始めた時点では、金が不足していたそうです。
そこで、僧侶の良弁(ろうべん)達が祈ったところ、東北で金が奇跡的に発見されたと伝わっているんですよ。
仏教の力って凄いですね!
その後、2回も消失しましたが僧侶たちによって再建されたので、現在も大仏を拝観することができています。
聖武天皇の「財力や権力ではなく、人々の協力で大仏を造る」という思いが、現在まで大切に引き継がれているんですね!
基本情報
- 正式名称・・・廬舎那仏(るしゃなぶつ)・毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ・ヴァィローチャナ)
- 造立年・・・749年(天平勝宝元年/奈良時代)
- 総高(台座含む)・・・18.03m
- 仏身高・・・14.98m
- 仏体重量・・・250t
- 国宝指定年月日・・・1958年(昭和33年)2月8日
- 世界遺産(文化遺産)登録年月日・・・1998年(平成10年)12月
- 鎮座しているお寺・・・東大寺大仏殿
鎌倉大仏が立てられたのはいつ?なんのために立てられた?
次に、鎌倉大仏はいつからあるのか、なんのために立てられたのかも合わせて調べました。
最初から屋外に立てられていたのでしょうか?
早速、鎌倉大仏の歴史と由来も見ていきましょう。
鎌倉大仏はいつ立てられた?
高徳院にある鎌倉大仏は、僧侶の浄光が寄付を集めて木造で建てられ、1243年(寛元元年)6月11日に開眼したとされています。
初代の大仏は木造で、約770年前に造立されたんですね!
開眼から約4年後の1247年(宝治元年)に、台風により崩壊したという記録があるようです。
そもそも最初の木造の仏像は、金銅の仏像を造るための鋳型だったとの説もあるそうですよ。
1252年(建長4年)8月17日に、金剛を使用した現在の大仏の造立が開始されました。
金銅を使用した大仏が完成した時期は、現時点では不明のようです。
しかし、1268年(文永5年)10月11日付で「大仏殿別当宛ての書状」を日蓮が書いている記録が残っていました。
書状の日付から、1268年には大仏の鋳造と大仏殿の建築が終了していたと考えられているようです。
鎌倉大仏も奈良の大仏同様に、完成時には金箔が貼られて輝いていたそうですよ。
完成当時は大仏殿があったとされていますが、1495年(明応4年)の大地震の時に津波で流されたという説が有力となっているようです。
津波や台風などで何度も崩壊し、室町時代から現在のような雨ざらしの状態の「露坐(ろざ)」となりました。
500年以上も屋外に雨ざらしで鎮座されていることになりますね。
大仏殿の再建は、なぜ今まで行われなかったのでしょうか?
1712年(正徳2年)頃に、祐天上人(増上寺の僧侶)と弟子の養国上人によって、大仏の修復が行われました。
野島左衛門という浅草の豪商からの支援を受けていたので、大仏殿の修復も合わせて計画されていたようです。
しかし、野島新左エ門が島流しになり出資を受けられなくなった事で、大仏殿は再建できなくなりました。
同時期に、高徳院で火災が発生した事も影響しているようです。
大仏殿を再建するには莫大なお金がかかるので、出資者がいないと大変むずかしくなりますよね。
ずっと外に鎮座しているので大仏の傷みも心配になってしまいますが、どのように補修されているのでしょうか?
直近では、2016年(平成28年)1月13日~3月10日まで、大仏の保存状態の調査とクリーニング作業が行われたようですよ。
雨ざらしでも現在まで引き継がれているのは、専門家の方々によって大切にメンテナンスされているからなんですね。
鎌倉大仏の鋳造技術はとても高度で、30回以上繰り返し鋳造されているそうですよ。
以前は、大仏の胎内に入り鋳造の痕跡を確認することができましたが、現在は感染症対策のために閉鎖されています。
また胎内を拝観できるようになったら、ぜひ鋳造の痕跡を確認してみてください。
鎌倉大仏が立てられたのはなんのため?
鎌倉大仏は、なんのために立てられたのでしょうか?
奈良の大仏を参拝した源頼朝夫妻が感動し、鎌倉にも大仏を造ろうと計画したのが始まりだと伝わっているようです。
頼朝の女・稲田野局(いなだのつぼね)が頼朝夫妻の死後に発起し、僧侶の浄光が寄付を集め造立が実現されたとの説が有力。
高徳院で言い伝えられているようですが、はっきりとした由来は不明のようです。
鎌倉大仏は立てた目的や完成した年などの記録が少なく、まだまだ謎の多い大仏なんですよ!
今後、どこからか鎌倉大仏にかかわる文書が出てきたら面白いですね!
歴史の新たな発見に期待しましょう♪
基本情報
- 正式名称・・・国宝銅造阿弥陀如来坐像
- 造立年・・・1243年(初代木造)
- 総高(台座含む)・・・13.35m
- 高さ・・・11.312m
- 仏体重量・・・121t
- 国宝指定年月日・・・
- 鎮座しているお寺・・・鎌倉大仏殿高徳院
まとめ
今回は、奈良の大仏と鎌倉の大仏どっちが先で、なんのために立てられたのかを徹底調査してみました。
奈良の大仏 | 鎌倉大仏 | |
どっちが先? | 749年造立 | 1243年造立 |
なんのため? | 災害や疫病から世の中を守るため | 源頼朝夫妻が奈良の大仏に感動したため |
初代大仏の造立年が奈良の大仏が749年、鎌倉大仏が1243年でした。
奈良の大仏の方が鎌倉大仏よりも、約500年も前に造立されていることがわかりましたね。
大昔に巨大な仏像を立てるのはとても大変だったと想像できますが、当時の大仏造立への強い思いも伝わってきました。
大仏の歴史と由来を知ると、更にありがたみを感じますよね。
また、源頼朝夫妻も奈良の大仏を見ていたと思うと、とても感慨深いですね!
現在も継続して大切に保存されている大仏を改めて拝観したくなりました。
これを機会に、奈良や鎌倉へお出かけしてみてはいかがでしょうか♪
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