今回は、2024年のパリオリンピックのサーフィン男子で日本代表に内定したコナー・オレアリー選手の母親に焦点を当ててみました。
コナー・オレアリー選手は、なぜ日本代表なのだろうと疑問に思った方も多いと思います。
母親が日本人で、元JPSAレディースのチャンピオンの柄沢明美さんだったからなのですね。
そこで今回は、コナー・オレアリー選手の母親で元JPSAレディースチャンピオンの柄沢明美さんについて調査してみました。
コナー・オレアリーの母親は?元JPSAレディースチャンピオン柄沢明美!
出典:WAVAL.net
コナー・オレアリーの母親で、ご自身もプロサーファーだった柄沢明美さん。
どの様な人物なのでしょうか。
プロフィールと実績をまとめてみました。
柄沢明美のプロフィール
コナー・オレアリーの母親の柄沢明美さんのプロフィールをまとめてみました。
- 生年月日:1960年10月30日
- 出身地:東京都
- 居住地:オーストラリア・クロヌラ在住
1960年10月生まれという事なので、今年の10月で64歳になられるんですね。
はつらつとした笑顔が素敵な明るい女性という印象です。
とても良いお母さんなのだろうなぁと想像できますね。
柄沢明美のサーフィンの実績は?
コナー・オレアリーの母親の柄沢明美さんの実績について調べてみました。
明美さんがサーフィンを始めたのは20歳の頃。
それまでは、体操やスキーを子供を対象に教えていたそうです。
流行っているからと友人に誘われ、湘南で初めてサーフィンを体験しました。
スキーと違って不安定な波が相手のサーフィン。
全然上手に乗れなかった悔しさから、どんどんはまって行ったそうです。
JPSAのHPによると1985年度に、ショートボード女子のグランドチャンピオンに輝いています。
柄沢明美さんが25歳くらいの時になりますね。
HPには
JPSA女子プロ部門が立ち上がってまもなく、初代プロたちが結婚や妊娠で早々に引退し、少人数になってしまいました。当時いろいろな出来事が重なり試合がなくなり、たった2戦でグランドチャンピオンになりました。
と、柄沢明美さんの言葉が綴られています。
立ち上がったばかりのJPSA女子プロ部門で、切磋琢磨しながら勝ち取ったグランドチャンピオンだったようですね。
『たった2戦』と綴られていますが、その2戦も重みのある2戦だったと思われます。
柄沢明美さん等の先人の努力があって、今の日本の女子サーフィンに確実に繋がっているんですね。
コナー・オレアリーの両親の意外な出会い
現在は、オーストラリア在住の柄沢明美さん。
夫であるフィンバーさんとの出会いは意外な出来事だったそうです。
明美さんがプロサーファーとしてツアーを回ってた時に起きた事故がきっかけとの事。
ハイウエイ・パシフィックで明美さんが載っていた車がスリップしてしまいました。
その時に、ピンチから助けてくれたのがフィンバーさんだったそうです。
その後、数年の遠距離恋愛を実らせてご結婚されたそうですよ。
当時はスマホやSNSなどもなく連絡手段が少ない中で、遠距離恋愛を実らせるのは大変だったのではないでしょうか。
交通事故は不運でしたが、フィンバーさんと出会えて本当に良かったですね。
今回のまとめ
今回は、2024年のパリオリンピックのサーフィン男子で日本代表に内定したコナー・オレアリー選手の母親に焦点を当ててみました。
母親は日本人で、元JPSAレディースのチャンピオンの柄沢明美さんでした。
サーフィンの女子部門の先駆者で、1985年度に、ショートボード女子のグランドチャンピオンに輝いていましたね。
親子、二人左脚でオリンピックで好成績を残して欲しいですね。
パリオリンピックが更に楽しみになってきましたね。
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